才能と天職
この季節には、幾つかのおしまいと始まりがあります。私の身近でも、持つ才能を潜ませ、新しい道を選んだ方が何人かいらっしゃいます。
年若くして才能が開花しようとした場合、よほどの幸運か、よほどの強運か、よほどの悪運がなければ才能を全開にさせることはできないのが現実です。スポーツにしても、芸術にしても。
才能があったとしても、それを生きていく食い扶持にできるケースはごく稀であり、若ければ若いほど妬みの対象ともなり、花開ききることなく道半ばで道を折れる方を数多く見てきました。
特にアーティスティックな才能、評価が分かれるような才能というのはかつての偉大な画家たちがそうであったように、そのアーティストが活動を続けているあいだに適正な高い評価を得られることはなかなかないようです。そう思うと、この才能、大事にしたい!と思える才能を庇護したい気持ちがとても強くなります。
しかし現実はそれほど甘くはなく、経済的な支援、社会的な保護ともに十分ではありません。そこへ若者特有の移り気、短気が顔を出すとあっという間に違う道を選んでしまう、そんなケースは後を絶ちません。
才能を天職とできる人は本当に幸せです。才能には当然”本人のたゆまぬ努力”が含まれていると思いますので、生まれ持ったものだけではないとは思いますが、飛び抜けた才能を持っていたとしてもそのまま天職として続けていける人は決して多くはないわけですから。
才能ある方の新しい選択をお聞きするのは本当に残念だし、何かできなかったものかと考えてしまったりもします。しかし、次の選択が明るいもの つまり前向きな選択であったり仕方なく選ぶ道でない場合には、新しい未来を応援しよう そんな気持ちになります。
本当は、持って生まれた才能を天職にできないことほど社会にとってもったいなく、その人自身に申し訳ないことはないといつも思っています。
尖った才能を身近に感じたら、サポートし、守り、伸びるべき方向へ伸ばす義務があると私は思います。
この春に、
才能を天職とする人の幸せ
才能を天職にできるためには
まわりにいる人それぞれの才能をそれぞれの仕事に生かせているか
再度考えてみるとともに、私には才能があるのか、あるとしたらそれはどんなことか、小さな才能をもし持つとすればそれをきちんと育てていけているのか、私は才能を仕事にできている幸せな者なのか、今のこの仕事にその才能をもっと活かすにはどうしたらいいか、確認してみたいと思っています。
最後になりましたがこの春、新しい道を進む才能ある方々の未来を応援しています。