やさしいってなんだろうな
先日、松葉杖を使って来院されたリピーターの患者さんがいらっしゃいました。診察が終わってから、雑談の中で話しておられたこと。
先生、日本は東京オリンピックやってもダメですよ。みんな全然やさしくない。
頭に白いものが混じる年代の彼女、しかも足を悪くして松葉杖を使っている、そんな人が地下鉄に乗っても席を譲る人はおらず、座っている人はななめ上を見たり頭を垂れて寝たふりしたり。みな知らんぷりなんだそうな。
朝や帰りのラッシュアワーはちょっと話が変わってくるとは思いますが、それ以外の時間では私が思うに1/3くらいの人は本気で座っていたい人=疲れてる人、1/3は鈍感な人、目の前に何かが起こってもなにも考えない人、残りの1/3は席を譲ろうか一瞬は迷うけれど、ちょっと恥ずかしい、ちょっとめんどい、そんな気持ちに負けちゃう人。席を譲らなかった人たちをかばいたい、そんなわけじゃあないけれどきっと根っからの悪い人はいないはずだから。そう思いたいし、本当にそんな気がします。
日本はまず、3つ目の1/3に入るような人を増やしていかないといけない。ちょっと恥ずかしい、ちょっとめんどい、でも気持ちは何かしなくちゃ って思っている人を増やすこと。目の前で何か変わったことがあったら心が動かされること。バックに妊婦マークをつけている人、明らかなお年寄り、眠っている赤ちゃんを抱っこしているお母さん、足の悪い人。目の前で転んだ人、持ち物を落としたことに気づかない人、みんなそう。相手はあたりまえのように”知らない人”だけど、勇気を出したあなたのおかげで、ものすごくいいことがあるはず。大事な定期券をなくすところだった、転んでケガして痛い気持ちが少し救われた、物理的に助かることもあるし、気持ちがあたたかくなることも大きいと思います。
やさしいってなんだろうな。
すごく特別なことじゃない、人としての反射で動けばいいだけのこと。ものが落ちたら拾う、雨に濡れたら拭く、びっくりしたら一緒に驚く、悲しかったら一緒に涙を流す、無機質な空気がゆるんだら一緒に笑う、そんなこと。
先日いらっしゃった松葉杖の方より若い世代の私たちは、まわりに興味を抱くことなく過ごせる環境に慣れてしまっています。となりに座る人のiPodの音が大きすぎてもガマンできちゃう無関心。目の前にいる子供が泣いても笑っても、表情ひとつ変えずにすごすことができちゃう無関心。SUBWAYのカウンターでとなりの人がお水をぶちまけても、とりあえずそのままでいられちゃう無関心。
せめて自分の身のまわりに起こる出来事に反応できる私たちでいたい。そう願っています。医療、健康、スポーツ、そんな仕事に関わる私たちが動けないんだったら、世の中の多くの人は動けっこありませんから。日本にオリンピックを迎えるその前に、たまたま今日となりになった人へあたりまえのことをしてみませんか。それがきっとやさしいってことなんだろうなと思います。