悩みを聞くのもまた楽しい

最近、スポーツに関わるお仕事のみなさんにちょこちょこ相談をされるようになりました。今はこんなことを仕事にしているけれどこれからはこんな風になりたい、とか、もう一度婦人科の勉強をちゃんとしたいと思っているけれど、どこでどうやって学んだらいいか、とか、現場でなかなか思いが伝わらなくてもやもやする、とか。さらには次の就職先をどう選択したらいいか、といった かなり人生に関わってくるような相談内容もあります。

JISSなどのように、一部の職員以外は期限つきで働くというケースもよくあるスポーツの業界。自分の仕事を見つめる中で、今の職場ではかなえられない希望、今の職場にいては達成できない目標などに気づいてしまうことが悩みのスタートだったりするようです。でも聞いていて思うのは 目指したいもの、こうなりたいという人物像、こうでありたいという理想がはっきりしているからこそどうにかしたいと思うのでしょう。

スポーツに関連したトレーナーだったり栄養士だったりメンタルのサポーターだったりは、大手の施設、大手の企業などにいない限りは、多くの方がフリーで、かつ所属を転々としたり個人事業主としてがんばっていたりするケースが多いです。大手にいたとしても転職するケースはよく見ます。ある意味、手に職があるからこそ、自分のスキルに自信があるからこそ、大海に泳ぎだす勇気がある方が多い、とも言えるわけですが、なかなか安定しない、安定できない、もし安住してしまったとしたら本当にやりたかったこと、本当になりたかった理想とはちがっていても満足してしまいそうで不安、そんな現状もあるようです。

もちろんこれはスポーツに関わるお仕事だけではなく、どんな分野でもありうることでしょう。たまたま私がこの分野の若者と接する機会があるから、スポーツの世界の中で感じることなのかもしれませんよね。スポーツの現場を支える彼女らの悩みを聞くことはスポーツの現場にある生の問題点を知ることにもなるわけで、本来ならこんなことも、あんなこともできるのに、と、古い体制や仕組みが生き続けているからこそ動きがとりにくいスポーツの業界を憂う気持ちにつながったりもします。

本来スポーツは、黒字産業として国の経済の一翼を担うことができるだけの魅力とパワーを持っています。現在の日本におけるスポーツのさまざまは、多くが国や公的な機関に支えられており、各種競技団体だったり都道府県の体育協会だったりの活動はその多くが公費で支えられているわけです。国が支えるということ=税金で賄われている ということであり、本来”スポーツ”というものが生み出すことができる経済的な価値の恩恵をほとんど受けていないと言わざるを得ません。

本当の意味でスポーツが産業化し利益を生み出せるようになれば、スポーツに携わる職種のおかれる立場も当然変わってくることでしょう。スポーツが生活に根づいたあかつきには、健康寿命が平均寿命に近づく なんてことも絵空事ではなくなるはずです。

スポーツに携わる私たちひとりひとりが置かれている立場、守られている組織、その合理性不合理性を考えてみたりすることも時には必要だろうと思っています。個人的には…JISSのような機関をドームのようないち企業が作る日も遠くないのではないか、と妄想してみたり。みんなが聞かせてくれる悩みから、こんなに考えを広げたりしている私です。

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