若手医師・医学生のみなさんへ@ヨガの世界

1年ほど前から私の元へ、医者であるyoginiや今まさに医学部にいるというyogini、4月から医学部に行きます という方などがお越しくださるケースが増えてきました。医者であるyogi yogini は私の先輩にもたくさんいらっしゃるわけで、私が特別ということはまったくないわけですが、私が多くの方に出会う機会がある分お声をかけていただく機会も多いようです。

先日のヨガワークショップにも、夜勤明けの研修医の先生と春から医学部へ通う方がお越しになりました。うれしいことです。若手ドクター、医学生のみなさんから進路や進むべき道について相談をされた時に、どんな方にも必ずお伝えをしていることがあります。

医師免許を持ったヨガインストラクター になりたいのか
ヨガの指導資格を持った医者になりたいのか
そこをはっきりさせた方がいい。ということ。

”医学的な知識を持ったインストラクター”という肩書きだけで、ヨガの世界では重宝がられるかもしれません。レッスンを持てば集客できるだろうし、あちらこちらからお声をかけてもらえることでしょう。しかし、もし”一人前の医者”でもありたいと願うのであれば、一人前の医者になってからヨガの業界で羽ばたいた方がいい。なぜかといえば。一人前の医者になることは、そんなに簡単なことじゃないから。ヨガのインストラクターとして成功することと同時に達成できることじゃないから。

一人前の医者になるためには、しかるべき勤務場所と自然な流れが必要です。どういう意味かご説明します。医師免許を持ったとしても各種学会の”専門医資格”を得るためには、指導医のいる研修指定病院に所属し、一定数の症例を経験する必要があります。そんな病院で数年(たいてい5年)を経ると、専門医試験の受験資格を得ることができます。ベーシックな専門医資格(私の場合 産婦人科)を得ると、専門医資格を持っているから得ることができる認定医の資格が登場します(私の場合 抗加齢医学会認定医、女性医学学会認定医など)。つまり、専門医資格を持っていないと門前払いとなってしまうような認定医資格が存在しているわけです。

専門医資格を得る前に大学や大きな病院を離れ、早すぎる段階で開業したりバイト生活となったり、または計画性のない留学をしたり、など、ある意味レールから外れた若手の時代を過ごしてしまうと、普通に過ごしていればほぼ必ず手に入る専門医資格を取りそこねてしまうことにつながります。一旦レールから外れてしまうと、専門医資格を取得することを目的に、年齢を重ねてからあえて研修指定病院での勤務を希望するケースはほとんどなく、レールを外れてしまった医者が専門医資格を取ることはかなり難しくなってくるわけです。

だからこそアウトサイダーだったりする後輩にはよく、専門医資格を取るまではとにかく大学(の所属)をやめるな、と話したりするわけ。専門医資格を持っていなかったとしても、もちろん十分に仕事はできるでしょうが、ある意味持っていることがあたりまえすぎて、持っていないと これまでの経歴の中でなにかあったんだな、という見方をされても仕方がないくらい一般的な資格です。だから若手のみなさんには、最低 専門医資格を取るまではどっぷり医療の世界にいたほうがいいよ、とアドバイスするわけです。

そしてもちろん、専門医資格を持っていなくても立派なドクターはたくさんいらっしゃることでしょう。しかも、世の中の多くの人には、このあたりの細かなことはわからなくてあたりまえです。しかし、世の中の人が一人前の医者とみてくれているからといって、まわりの医者が一人前の医者とみてくれているかといったら、それはイコールではありません。医者がほかの医者をどんな目でどんな基準で判断するかと言ったら、どんな専門医資格を持っているか、どんな認定医資格を持っているか、博士を取得しているか、どんな学会活動をしているか、そして今なにをしているか、結局はそこに尽きるわけです。だから持つべきものをそれなりの時期に持っておく、ということは”一人前の医者”を目指すのであれば必須だろうと思われるわけです。

ついでに博士について。医者にとって医学博士の資格は足の裏についた米粒のようなもの、とよく例えられます。取らないと気持ち悪いが、取っても食えない。その通りではあるわけですが、大学卒業後、大学も医局も離れて自由気ままに仕事して10年くらい経ったころにいきなり「博士号を取りたい!」と思いついても、それはなかなか難しいのも事実です。
医学博士について言えば大学院に進学し、4年の歳月を研究に費やせばほぼ確実に取得できますが、医学博士のうちの半数くらいは大学院博士課程へ進学せずになんとなくな論文の提出によって得られる、論文博士と呼ばれる博士号だったりもします。私の知る医者は、人生に1本の英語論文を書くこともなく、日本語の論文の提出だけでいわゆる”論文博士”になりました。年月と努力を重ねて然るべき時期に得た博士号とたなぼた式にいただけた博士号が、世の中では同じ扱いをされるというのもおかしな話しではありますが、少なくとも現在の日本ではこれが現状です。(これはあくまで医者が取得する博士(医学)についてのお話しです。また臨床と研究を同時並行し、苦労なさって論文博士となったドクターもおられます。ご理解ください。)

医学生のうちや医者になってすぐのころからヨガの活動に重きを置いてしまうと、そちらの方が楽しくて仕方なくなってしまうと思います。ヨガの世界で自分が役に立てる!自分が必要とされている!と感じられるでしょうから。でもそれは、医学生じゃなくても、医者じゃなくても、医学的な知識を持ったヨガインストラクターであれば十分務まる仕事なわけです。逆に、熟練したインストラクターの方がよっぽど知識経験ともに豊富でしょう。

まわりからも医者として一人前に扱われるようになり、自分でもひとり立ちできる自信がついたころに、サブスペシャリティのひとつとしてヨガを扱っていく。それまではヨガを自分の趣味の域にとどめておく。これが今の日本におけるベストなプランだろうと私は思っています。だからこそ私はそうしてきました。
専門医資格、博士号、持つ持たないは自由ではありますが、医者として現在の主流となっている学問をしっかり学び、医者として十分に誰かの役に立てるようになってから、趣味のヨガを仕事にしていく。これが医者たるものの本分でしょう。あたりまえのことですが、医学生の知識をもって伝えられること と、医者数年の経験で伝えられること と、スペシャリティを持って働く医者が伝えられること には間違いなく差がありますから。

医学部時代の試験は毎回たいへんだったし、もちろん卒業試験も、さらに国家試験もたいへんでした。でももっとたいへんだったのは研修医時代。からだ的にもつらかったし、気持ちの面でもつらいこともありました。でもうれしいこと楽しいことやりがいを感じることはそれ以上にあり、今の私になるためには避けては通れない道だったと思えます。私はそこをショートカットして、医師免許を持ったヨガインストラクターとして生きていこうと思ったことは一度もありませんでした。

早い時期からヨガの世界で活動することを 易きに流れる とは思っていません。しかし、医者が医者の世界で研鑽を積むこと よりも先にヨガの世界で活動することを優先させた としたら、それは易きに流れた と捉えられても仕方がないと私は思います。たくさんの税金を投資していただいてはじめて得られる医者としての人生を、より多くの方のお役に立つために生かす としたら。そこをしっかり考えてみる必要があります。

あえていばらの道を。
あえて高い山から。
あせらず、まずは自分の本分を。

そんな選択が、トータルでみた人生を豊かなものにしてくれる。私はそう信じています。

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