人を救うことなんてできるのか という話し
医者は人を救うのが仕事、そんな趣きがない とは言わない。
でも、私が実際に「人を救った!」と感じたのは遥か昔、医者になってから5年間、救命救急センターの当直に携わっていたころまで。
3次救急ともなると大事故直後に大出血状態が何人も同時に運ばれてきたケースや、数十秒の判断の遅れで生命の存続が難しくなるケースはいくらでもあった。実際私は産婦人科医なのに、血胸といって 本来肺のためのスペースである胸腔内に血液が貯まってしまった状態に対して、太いストロー状のチューブを刺して血液を抜く治療がとても得意で、呼吸器内科のドクターより手技が上手だった。当時は、患者さんの命を救った!という思いを抱きながら、眠い朝を迎えたこともあったように思う。
でも救命救急を担当しなくなり、産婦人科医として研鑽を積む中で”人を救った””人を助けた”なんて思ったことはほぼない。産婦人科医の仕事が”救う””助ける”という任務よりも、”守る”という言葉の方が当てはまるからかもしれない。
医者の仕事のみにあらず、人を救うことなんてできるのか、人を助けることなんてできるのかと、いつも思う。
私は 他人が誰かに対してできること というのは、”本人がチョイスする選択肢を示すこと” だと思っている。それがその人にとって”役に立つこと”なのではないか、と。こんな方法がある、それがイマイチならこんな方法もある、それらを提示した上で、最終的に選ぶのは本人。それは疾患の治療でもそう、ヨガの指導でもそう、考え方のサポートでもそう。結局は本人が選択しているわけだから、私が救ったのでも、私が助けたのでもなんでもない。本人が選択し、結果的に変わることができた、ただそれだけのこと。
救命救急センターでは処置が追い付かず目の前で亡くなるのを見ることはいくらでもあったし、産婦人科医としてがんを専門に診ていれば当然、医学の敗北なんて いやというほど感じてきたもの。患者さんのフルネーム、元気だったころの笑顔、その方のまわりにいた人たちのこと、今でも鮮やかによみがえってくるもの。
社会人ソフトボールチームのチームメイトの進行した子宮頸がんを、私自身が診断し手術し、放射線治療し化学療法もし、それでも36歳で見送った。タバコを吸わない女性のトレーナーの友だちを、34歳で肺がんで亡くした。東名高速の追突事故に巻き込まれたチームメイトもICUで何日も闘ったけれど亡くなった。ジム帰りに前方不注意のバイクにはねられて2か月間生死をさまよい、亡くなったジム友もいる。医者の私が人を救えた、実際に人を救ってきたという実感はほとんどない。
ただ言えることは、今ある平穏を守る、そのことを届けてきたのかもしれないってこと。
分娩もそう。赤ちゃんが元気であたりまえ、お母さんも元気であたりまえ、産後の回復もよくてあたりまえ。そんな空気のある今の日本でも、蘇生、救命なんていう状態になる可能性はどんなお産にだってあるのが事実。どんなときも、今ある平穏を守るために全力を尽くしてきた。それが児の命を救うことにつながったことがあったかもしれないけれど、結果がそうであっただけであって、救ったという自覚なんてないのが一般的。
人を救う とか、人を助ける とかいう言葉を軽々しく使うな、というわけではない。その言葉を使う人が、自分は人を救えている、人を助けている、そう感じているのなら使えばいいと思う。ただ、少なくとも私はそう感じるタイプの人間ではないということ。
あなたに救われました! あなたに助けられました!
私にそう言う人がいるとしたら、その人を救った、その人を助けたことになるのかもしれないけれど、実際に私がしたことは、その人ができる可能性のある選択肢を示したこと。それだけ。どの選択肢を選ぶかについて思いをを込めて勧めることはあったでしょうが、その選択肢を選べるか、意思を固められるか、一歩を踏み出せるか、そして変われるか、それはあくまでその人次第だから。今私が医者としてしている仕事だって、話しを聞き、もしくは聞き出し、こんな治療法がある中であなたにはこの治療がいいと思う、そんなナビゲーターのような役割がメインだから。だから今の私は人の命を、人生を救っているなんてとても言えない。人を助けているなんて烏滸がましすぎる。そう思っている。
でも世の中には、背中を支えてほしい人がいるのも確か。変わる様を見守ってほしい人がいるのも確か。私はそんな人たちの心の平穏を少しでも守れたら、変わっていく事 以外が平穏であることを願ってそばにいることはできるかもしれない。そのことをその方たちが望むならいくらでも。
(慈恵医大 安田先生と)