故郷で思うこと
この週末に、仕事をからめて故郷 名古屋を訪れることができました。実家には、ありがたいことに両親が健在でおりましてあたたかく迎えてくれるのですが、東京に来て以来、近い親戚の葬儀か学会以外での帰名はなかなか実現させることができませんでした。どうしても仕事を優先してしまったり、休暇を自分自身のお休みとして使いたがったり、そんな自分のわがままで両親のもとへ帰ることを先のばしにしておりました。学会で訪問の際は宿泊も最寄りのホテルを利用するため、両親に挨拶できずに帰ることもしばしば。
今回は朝東京を発って1つのイベントと懇親会、翌日に自分の仕事をすませてその足で帰京 というまさにとんぼ返りに近い滞在時間ではありましたが実家に宿泊したため、両親との時間がとれました。
懇親会の終わった私を名古屋駅まで迎えに来てくれた両親と、スーパー銭湯へ立ち寄りました。とても寒い日でしたので、ぴったりな選択でした。
露天風呂につかりながら、母との時間を過ごしました。お風呂でのおしゃべりはいいですね。もともと仲の良い親子ですが、久しぶりのゆっくりな時間に、これまでの仕事、生活で気づかぬうちに溜まっていたであろういろいろな心のくすみのようなものが剥がれ落ちた気がします。
母のからだが徐々に変化してきていることを、ちょっと丸くなった背中や、ちょっと減った髪の毛や、ちょっとか細くなった足を見て知りました。翌朝には仕事前の私に、昔と変わらない母の朝ごはんを準備してくれていました。父と母との変わらない朝ごはん。幸せですね。
自分の中で親はいつまでも親であり、いつまでも元気でいてくれると信じているわけですが、そうはいかないのが普通のこと。ここまで元気に過ごしてきてくれたことに感謝して、これから少しでも多くの時間を親に使えたらと感じました。
まわりの方からよく、私は親孝行だと言われますけれど、ほんとうの親孝行は親の近くで過ごすことなんだろうなと今になって思います。親にとって私はいつまでも子供であるわけですが、子供でいられることのありがたさをかみ締めています。
面と向かって気持ちを伝えることは恥ずかしかったりしますが、うまく気持ちを伝えられたらと思います。
今回の名古屋滞在も、名古屋らしいことが何もできなかったので、せめてもと思い新幹線のホームできしめんをいただきました。
到着時も 帰りも。
名古屋には私のルーツがあり、たくさんの友達、仲間、恩師がいます。できることならたくさんの方に会いに行きたいです。ほとんど年齢がかわらないのに病床で病と闘っている友達には一日も早く会いたいです。次の名古屋訪問を楽しみにしています。