誰を信じるか どう信じるか
世の中には、まことしやかに流れる嘘やデマがあります。そしてその嘘やデマにはうわさ好きな人々が群がり、尾ひれをつけてさらに多くの人へ届けられます。
どの話しを信じるか。誰の言葉を信じるか。どうしたら信じられるのか。
私は基本的に、自分の目で見て、体感したことを信じます。
たとえばいいと言われているyogaのレッスンも、自分で行って、実際やってみてはじめてその評価を自分の中で決定します。
実際に自分が体感できない場合 たとえば自分自身が経験していない成功例や被害については、私の口から語ることはありません。なぜなら、経験できていないから語れないのです。
直接本人の口から聞いた話しも、あくまでその人の話しとして しか受け止めることはありません。当人の話しですら、100%が事実かと言えば100%とは言えないからです。立場によって感じ方や受け止め方が変わるのはあたりまえで、一概にひとつの意見にまとめることができなくて然るべきでしょう。
インターネットの発達により、さまざまな匿名の投稿ができるようになりました。auther書き手が「なんとなくこの人かな?」程度にわかっている「ほどほど感」が楽しそうに見えるblogもたくさん存在しています。インターネット上にある情報は、すべてが正しいこと と思いこみがちですが、そんなことはきっとないでしょう。
どの情報を取り入れ、どの情報はなかったことにするか。それをまずは見極めること。取り入れた情報も鵜呑みにするのではなく、本当か?という目でふるいにかけながらあくまで「ひとつの情報」 として取り扱うこと。
ひとつのものの見方のみに偏ってしまっていると、フレキシブルな動きが取りにくくなります。自分の中で「あり」か「なし」かを判定することが難しい場合、あえてはっきりと立場を決めることなくニュートラルな立ち位置にいることは、次の判断材料がやってきたときに動きを取りやすいことにつながります。
そしてなにより大切なのは、すべてのことを自分の責任のもとに行うこと。情報を信じることも、自分が信じたうわさ話しをほかの誰かに伝えることも、それが真実ではなかったときの撤回も、すべてを責任もって行うこと。
特に、一度出回ってしまった情報を撤回することは不可能に近いと思います。だからこそ、あやふやな情報を広めない、根拠のない情報を鵜呑みにしない。そんな毅然とした姿勢が必要でしょう。
うわさ話しほど、楽しめて時間も潰せるものはないのかもしれません。でもそこにはうわさの対象となる人や店舗やものがあるということ、それらがいろいろなかたちで傷ついているということを知ってほしいと思っています。
万が一、自分が、自分の大切な人がその立場となったなら。そんなことを一度考えていただきたいものです。