私の”読書好き”を育てたもの

読書はもともと好きで守備範囲は広い方だと思います。すすめられた本、気になった本はなるべく早い時期に手に入れ、読む習慣がついています。

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小学校の頃、夏休みの自由研究に1日1冊本を読み、読書感想文を毎日書く という、今考えれば驚異的なことを毎年していました。夏休みに1冊の読書感想文を書くことが必死だったまわりの友達からは、代わりに書いて、なんて言われてもいました。夏休みに毎日、ですから、だいたい50冊弱の本が必要なわけで、ご近所お馴染みの本屋さんはもちろんのこと、図書館総動員だったことをよく覚えています。
両親に心から感謝していることは、本を買うということに関して、一度も反対をされたりしなかったこと。買いすぎでしょ、とか、この本はやめておきなさい、とかいう大人の干渉はまったくなく、逆にお誕生日やクリスマスのプレゼントも本にまつわるものがほとんどでした。今でもよく覚えているのが、長谷川町子さんの『サザエさん全集』。マンガ本ではありますが、小学生相手のプレゼントとしては破格だと思います。他にも『いじわるばあさん全集』、『まんが日本の歴史全巻』、『まんが世界の歴史全巻』など。思い起こせば7つ年上の兄も、『まんが三国志全巻』をもらって喜んでいました。当時名古屋で流行っていた中日ドラゴンズのマスコット『ドアラ』のぬいぐるみをもらうより、よっぽど嬉しかったです。

そのころからの活字好き、文章好きのおかげで毎日日記を書くこともblogを書くこともまったく苦ではありません。また読書に関しても、仕事関連の調べものと、時間をかけてじっくり読みたい本と、移動時間や待ち時間に読むためのさらっとした本、この3種類くらいは並列して読むことができるようになっていました。

読書には、自分ではない他人の人生を生きられる楽しさがあります。美しい言葉に出会えることもあれば、奇想天外な発想に触れることもできます。
今よりもまだまだ未熟だったころに敬遠していた啓蒙書、自己啓発のための本に対しても、考え方は変わりました。なにかに秀でた人が何十年もかけて得た考え方を垣間見るには、手っ取り早くかつ、もっとも簡便な方法が彼らの著書を読むこと。
啓蒙書を読むからと言って啓蒙書に啓蒙される必要はなく、あくまで自分とは違う誰かの人生を傍観してみる。その中に、今の自分に活かせる考え方があったなら拾う。なかったらこういう人生もあるのだと知る。そんなスタンスが私には合っていると思っています。

こちらのblogではこれまでに、読んだ本に関する記事を書いてこなかったため、あらためて私の読書のルーツを記してみました。私のまわりには活字が入眠剤になってしまうとおっしゃる方もいらっしゃいます。そんな方もこの秋、”読書”と気負うことなく活字に触れる時間を持てるといいなと思っています。

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