命日
今日は私のヨガの先生の命日です。
私がヨガというものに出会いハマったきっかけについて、どこかで目にされすでにご存じの方もいらっしゃると思います。元々は大学院時代のケガに対してなにかできる調整系のプログラムはないか、と探していた私が出会ったのがスポーツクラブにおける「ヨガ」のクラスでした。
そのクラスをたまたま担当されていたのがその先生。クラスの名前が「パワーヨガ」だったかただの「ヨガ」だったか定かではありませんが、とにかく運動神経が良いと思ってそれまですごしてきた私の鼻をポキッと折るのに十分すぎるくらいアクロバティックなヨガのクラスでした。さまざま繰り出される難度の高いポーズ。そのポーズをできるようになりたい、その一心でその曜日、その時間に通い続けました。もう10年以上前のことです。
あとから知ったことですが、ちょうどそのころ先生ご自身がアシュタンガヨガと出会って間もないころであり、ご自身ができないポーズ、練習したいポーズをクラスに組み込んでいたとのこと、そりゃ難度も強度も高いはずです。
しばらくののち、湘南出身の先生は都内でのレッスンを引き上げて神奈川での活動がメインになっていきました。スポーツクラブでのヨガがもっとも通いやすかった当時の私にとって、次なるターゲットは平日かなり遅い時間に海老名東のスポーツクラブで開催されていたその先生のヨガのクラス。渋谷から高速を走らせて海老名東まで毎週通いました。時には辻堂にあるゴールドジムで開催されたクラスにも顔を出しました。長崎 伊王島で開催されたケン先生のリトリートに一緒に参加したのもこのころ。
そののち、ご自身のスタジオのみでの指導をはじめられたのをきっかけに、朝のマイソール、たまのレッドクラスのために高速を飛ばして茅ヶ崎までちょこちょこ通っていました。夏には鵠沼海岸でビーチヨガをしたり(ビーチヨガとはいっても、よくあるビーチでなんとなくヨガ、ではなく海の家の板の間でいつものがっつりヨガでした)年末には108カウントのシルシャアーサナをみなで行ったり、みんなでケン先生のリトリートに参加したり。
こんなビーチヨガ。このころはまだまだ後ろで手が繋げていませんね。
ヨガというものにどっぷりの時期を過ぎ、私自身の時間的な制約により都内での練習がメインになってしばらく。そんなころの訃報でした。
同世代ですから、これから先がまだまだあったはず。残念です。
しかし今の私のヨガがあるのは、先生のおかげであることは間違いありません。この命日にあらためて感謝を届けたいと思います。ありがとうございました。
これからも、人生とヨガを粛々と続けていきます。