指導者の在るべき姿とは
昨晩のジャパンコーチズアワードの余韻が、熱が、冷めやらぬ一日を過ごしました。
私は一般に言う「スポーツ指導者」ではありませんが、ヨガを伝える者 と考えれば広義の「スポーツ指導者」であるわけですし、婦人科学についてみなさんにお伝えしている行為をとらえれば「指導者」という呼ばれ方をしてもおかしくはありません。政治の指導者、学問の指導者、職業の指導者、運動の指導者、ひとの前に立つ役割を持つ人は、ほとんどが広義の「指導者」でしょう。
指導者の在るべき姿とは。
アワードのものすごく強いインパクトを受けたあと、そんな問いが常に頭のどこかにあります。
指導者の在るべき姿について、私自身がイメージする像を言葉で表現するためのかけらをいくつも、アワードでいただきました。
まだ明解な言葉で言い表せるわけではありませんが、理想となる指導者像は私の中にあります。
“教える”ではなく、あくまで本来持っている可能性を引き出すのが指導者の役目。指導される側をどれだけ本気にさせられるか、どれだけ前のめりにさせられるか、いかに自発的に能動的に動かせるか、そこが指導者の腕の見せどころ というわけです。
自発性は積極性や創造性を生み、個性や多様性を際だたせます。それぞれがそれぞれ持つ可能性やキャラクターを活かし、伸ばし、それぞれの新しい価値を見出せるよう目の前に見える視野を広げてやる。これが指導者にできること。
そして指導者にもっとも必要とされる素質は、ひとつのことを続けていけること。
飽きもせず、ただひたすらにひとつのことに向かって努力し、ひとつのことに挑戦し続けられること。そう思います。
私自身がある種の「指導者」であると気づいてしまった今、自分が思う指導者の在るべき姿に少しでも近づくことができるよう精進あるのみです。ゴールは遥かに遠くにあります。しかしそのゴールは、ものすごく鮮明に目に映ります。ゴールがクリアになった分、ゴールからほど遠いところにいるという事実もはっきり見えてしまいましたが、こう在りたいという自分 に気づけたことは本当にしあわせなことです。
熱あるうちに動きたいと思っています。