「正しいこと」のあつかい方について
これまで私は 新しくて正しい知識を得る、それを正しく伝える、そんな点を大切にしてきました。1+1は2じゃない、10にも100にもなる、無限大、なんて言ったりもしますが、数学という科学においては1+1はあくまで2であり、10にも100にもなりません。そこを間違えずに伝えたい、そんな思いから新しくて正しい情報にこだわってここまでやってきました。
しかし、先日の女性医学学会で「新しくて正しいことが大事」であることを根底からくつがえされるようなお話しを聞きました。ちょっとだけ共有させていただこうと思います。
絶対的な正義はない ということ。
正しいことがすべてではない ということ。
もちろんこれは科学の世界での話しではないのかもしれませんが、生きていく上では「正しいこと」を押し通すよりも大切なことが存在することもある、ということ。
河合隼雄・「心の処方箋」より こんな一文が紹介されました。
100%正しい忠告はまず役に立たない。己を賭けることもなく、責任を取る気もなく、100%正しいことを言うだけで人の役に立とうとするには虫が良過ぎる。
また町田 康・「自分の群像」より
人間にとって、責任の無い立場で正論を唱えることほど気持ちのよいものはない。
たしかにその通りです。
受け取る相手の立場や状況を考えることなく振りかざす「正しいこと」は凶器にすらなりうるのだということ。
科学の上で正解はひとつしかありません。しかも伝言ゲームのように伝わっていくような情報や知識は、伝えようとする誰もが正しくあろうと意識したとしても、違ったものとなって伝わることすらあるわけで、本来は正しいまま伝えるべきもの。でも、時代が変われば変わる常識もあるように、その時の最新の情報である必要があると考えてきました。もちろんこの考えは間違っていないと思っています。
でも、現場で患者さんと向き合うひとりの医者としたら、ジムで仲間とふれあうひとりの女子としたら、家族の中における自分の役割を考えたとしたら、絶対的な正義はない ということ。正しいことがすべてではない ということ。なわけです。
この話題にこんなにも反応した私、「正しいこと」という言葉にとらわれすぎてきたからなのかもしれませんね。そのちょっとした心の揺れをお伝えしたくてBlogにしてみました。科学の上ではあくまで正しいことは正しいこととして、生活の中では正解はひとつではないこともたくさんある、相手を傷つけてしまうような「正しいこと」は胸のうちにしまっておこう、そんな思いを強くしました。
みなさんも一度、「正しいこと」のあつかい方について考えてみてくださいね。