Facebookにメッセージをくださったみなさまへ
Facebookでは、直接お会いしたことのあるみなさんと、お顔のわかる交流を持ちたいと願っています。現在500名ほどのFacebook上のお友だちがいらっしゃいます。そのほとんどの方について私はいつごろ、どんなかたちでお会いしたかを説明できます。
講義をお聞きくださった方、講座にご参加くださった方からの申請をお受けできるよう、講座後は注意して見ているつもりですが、先ほどFacebookのメッセージの中に、「フィルタ済み」とされた未読メールを60件以上 発見してしまいました。もう休もうと思っていた矢先の発見に、しばし呆然としましたが、数件を読んでみました。お会いしたことがあるのにメッセージに気づかず過ごしてしまい、しかもメッセージをくださった数か月前もの 講義をお聞きくださったその日の熱い思いを たった今読ませていただき、心から申し訳ない気持ちを感じています。
仕方ないよ、と思ってくださるかもしれません。でも私がメッセージを送った側だったとしても、きっと気になる時間を過ごしたと思うと、やはり申し訳ない気持ちでいっぱいです。
今すぐは無理ですが、くださったメッセージ一件一件大事に読ませていただきたいと思っています。でも、このタイムラグがあってからの返信では、とてもとても私の気持ちをお伝えすることは難しいだろうとも思ってしまいます。
しかも、こうしてタイムラグがあった後にお友だちの承認をしてしまうと、この方はあの人だ、という認識が自分の中でできないままお友だちとなり、相手がどんな人なのか私にははっきりわかっていないのに、Facebook上でおつき合いをすることになっていくことでしょう。
今、そこが一番もやもやしているところ。
相手をわかって 「いいね!」 を押したい。それが私のFacebookのポリシー。だから逆に言えば、「私、高尾に一回しか会っていないけど、高尾が いいね! してくれる!」 って思ってる方、あなたのことを私はいつごろどこでお会いしたかわかっています。わかっているから いいね! してるんです。
これから先もどんどん増えるであろうFacebookのお友だち申請に、いつかこのポリシーを曲げなければならない時がきっとくるでしょう。でも、そんなのどうでもいいじゃん、って思えないのが私。きっと、多くの方がこのジレンマと闘ってこられたのでしょうね。お友だちの数が2000、3000の方はきっと、お友だち全員をわかっていないことでしょう。それでも一日に数度はFacebookを開くわけ。タイムラインに見たい友だちの投稿は見つけられず、誰だかわからない方の日常が載る不自然さ。いつかその状況に慣れるのでしょうか。そんな時、Facebookのお友だち という仕組みに意義はあるのでしょうか。
取り急ぎ、見つけてしまった 60を超える未読メッセージをくださっていたみなさまへお詫びしたいと思います。ご無礼をお許しいただければと思っています。