あなたのベイマックスになりたい
私の性格が能天気すぎるのだろうか、私はたいした悩みも不安も不満もなく毎日を過ごしていける、ある意味おめでたい人間なわけですが、世の中の多くの人が私のように日々過ごしているかと言えば、そうでもないのかもしれません。普段の接点の中では微塵も見せない心の内を知ってしまったとき、その人に私はなにができるだろうかと考えてみました。
社会の仕組みの中で、自覚している以上のプレッシャーやストレスが心を攻撃し続けていることは往々にしてありうること。心はその負荷に耐えかねて、からだにサインを出しはじめます。こういった心やからだの変化が見えてくる頃には、自身の中でも 今の状況は良くないかもしれない という思いが頭をもたげているはず。それでも きっとそんなことない、時間が解決してくれる、慣れるはず、そんな言葉を自分に投げかけながらどうにかこうにか毎日を完遂することをくり返すうちに、自分を浮かび上がらせてくれていた救命胴衣のエアーも抜けはじめ、気がついた時には浮上不可な状態に陥る。そんな流れは目に見えています。
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こんなときにどうしたらいいのか。かたちの無い強迫観念だったり重圧感だったりに克とう なんてことは考える必要はありません。大丈夫だよ、今のままでいいんだよ、十分だよ、そう言って包みこみ 抱きとめてくれる存在がいてくれたらそれだけでどうにかなる。きっとそう。
子どもの頃ならあたたかいお母さんの胸に。大人になってからは愛する人の胸に。さらに歳を重ねてからは絆で結ばれた人の胸に。でもそれが叶わない人だっている。たくさんいる。自分が抱きとめてほしい時も、自分が抱きとめる側に居なくてはいけないことだってあることを知ってる。そしてそんな人たちが一番、つらいんだってことも。
ああ、ベイマックスになれたらいいのに。そんな人たちのベイマックスになれたらって、本当にそう思うの。つらい時に横にいたい。望まれるなら抱きしめたい。そうかそうかと話しを聞きたい。背中をさすり、落ちる涙を拭い、鼓動が呼吸が落ち着くのを一緒に待ちたい。「もう大丈夫。」 そう言われて任務を終えるベイマックスのように在りたい。
ひとりでつらい夜を過ごさないでほしい。本当に困っているとき、頼れる腕を、飛び込みたい胸をさがしてほしい。そう願っています。
もう一度言います。
私があなたのベイマックスになりたい。