贈ることば

何年間か一緒に仕事をしてきた仲間が、8月末をもって退職をします。
結婚するわけでなし、妊娠したわけでもなし、傍から見ればそれほど悪くはないであろう職場で、次の仕事が決まっているでなし、普通はなかなか理解しがたい退職。決断をしてまだ誰にも伝えておらず、最初に私に伝えてくれたとき、当然のように引き止めようと思いました。でも、話しを聞いてそうすることをやめました。

彼女はこう言いました。

今のこの職場では、私が誰かの役に立てていると感じられないんです。

私はまわりの人によく言います。仕事とはどんなかたちであれ、誰かの役に立つもの。彼女はその言葉をそのまま胸に抱きながら、これまでを過ごしてきてくれたようです。

世の中にはいろいろな仕事があります。そのすべての人たちが、自分のしている仕事が誰かの役に立っていることを実感できるか、というと、そこは職種によって違ったりもします。
駅員さんであれば、駅を利用する人の安全を守り、便利を考えることで役に立っていることを実感できます。フィットネスインストラクターであれば、お会いするすべてのみなさんの健康を考えることで、直に役に立っていることを実感できます。
しかし人と対面する仕事ではないと、なかなか自分のしていることがどこか誰かの役に立っていることを想像すること が難しかったりもします。たとえば音楽を作る仕事。自分の作った音楽を、どこかの誰かが楽しんでくれているシーンをイメージできるからこそ仕事を続けていけるわけですが、実際に誰かの役に立てていることを知るチャンスなんて、ほとんどないのが現実。IT系のお仕事だって、ものすごく多くの人の役に立っていることは事実なのだけれども、実際に誰の役に立っているんだろう?と考えはじめてしまったら、なかなか答えが出ないのが現実。

それでも、仕事というものは誰かの役に立っているからこそ、仕事であり続けられるはず。

会社や企業という職場は組織の成長や時代にともなって、変わっていくものであることは否めません。だからこそ、以前はしっかりと感じられた「自分のしていることが誰かの役に立っている」という感覚も変わっていってしまうことはあるわけで。今、彼女を取り巻く環境を眺めてみたとき、もうちょっと一緒にがんばろうよ、そう引き止めることはできませんでした。そんな彼女に向けて贈ることば。

私たちがしてきたことは、間違いなく誰かの役に立てていた。
これからしていくこともきっと、誰かの役に立つよ。

いろいろな思いから解き放たれた、すっきりとした表情が印象的でした。
今までいろんなことに取り組めて、本当に楽しかった!一緒に仕事ができることがうれしい と言ってもらえたこと、心から光栄でした。ありがとう。

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