無声期

私とおつきあいの長いかたはご存知だと思いますが、私には無声期があります。無声、つまり声が出ない時期。

季節の変わり目に3日間くらい声が出なくなる時期がきまってやってきます。年に3回ほど。
半日くらいのあいだにだんだん声が低くなり、かすれてきてついには無音になる という経過をたどります。のどの痛みや咳はまったくないため、きっと風邪ではないのでしょう。アレルギーかなと勝手に思ってはいるのですが、声の出ない時期に耳鼻咽喉科で喉頭ファイバーをやってもらったとしても、きっと声門がむくんでいて声帯が上手く閉じることができないから声が出せないのだろうことは容易に想像できるため、診察を受けたことはありません。
時間がたてば元に戻っていくため、声のない3日間を楽しんでいるうちに気がついたら声が出るようになっています。

ただ、婦人科医としての外来業務に会話は必須であり、社会人としてのコミュニケーションにも当然のようになくては困るものです。今よりももっと手術をしていた頃は、無声期は手術帽とマスクのあいだからちらりと見える『目』だけでどうにか意志を伝えないといけないため、今よりももっと苦労がありました。

初めてお会いするタイミングが無声期にあたってしまった方にとっては、私の印象が普段とはとても異なるものになっていることでしょう。見た目超ボーイッシュ、声まで超ハスキーもしくはどすの利いた声ですからね。これまでも、Nsに案内されて外来のドアを開けたけれども、私の声(漏れる息)を聞いて一瞬入るのをためらう患者さんは何人もいらっしゃいました。もちろんその後、ちゃんとコミュニケーションは取れるわけですけれども。

外来などの仕事中、相手に自分の思いをお伝えをするために出ない声を無理に出したり、筆談を交えたりするわけですが、それ以外の時間はたいへん静かなものとなります。
意図的にあまり話さないようにしてみて感じることは、普段の饒舌さ。
きっと、必要のないことまでたくさん話しをしているのでしょうね、私。

そして、どうしても話をしなくてはならない時は、できるだけ言葉を選んで話すようになっています。頭とカラダが自然とそうしているようです。元々電話は必要時以外しない方ですが、それもさらに減ります。仕事の要件であれば誰かにお願いしたり、あえて電話に出ずにメールで返すことすらあります。

『雄弁は銀、沈黙は金』ともいいます。
言葉を慎しみ、適切に選んで正しく伝える機会を得たと考え、しばらくはこの無声期を楽しもうと思います。

ただ、今夕から京都へ参ります。多くの方々とお会いするために若干きびしいスケジュールをおして行くのですが、あまり多くを語るな というメッセージなのかもしれないですね。
私の声と相談しながら滞在を楽しみたいと思っています。

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