ヨガ村に住む私たちが、これからしていきたいこと
私たちが何かをはじめ、それを続けていく際に、ルーツというものが何にでもあって、そのルーツから大きな影響を受けることは確かなことです。長い時間が経ってもそのルーツに近いところで生きていく方もいれば、ルーツとはまったく異なる場所で花開く方もいたりするわけですが、自分のルーツがどこにあるか、と考えたり思いを馳せたりできる場所があるということは少なからず私たちに、心の拠りどころ、戻れる場所、そう思える場所があることが心に勇気や強さをくれたりもします。
私にとってそれは、医者としてであれば名古屋大学の加藤千豊先生であり、慈恵医大でお世話になった落合和彦先生をはじめとする先生方であったり、ヨガで言えばケンハラクマ先生だったりするのかな、と。しかし私たちはいつまでもルーツだけに留まるわけではなく、活動の場がルーツからの繋がりで広がっていったり、自分の力で広げていくことができたり、たまたまの出会いから広がっていったりするもの。そうなっていったときに、ルーツというものが活動に制限をかけるものになってしまうことは、あまりにも悲しすぎるのではないかと思っています。
これは、医者の世界には往々にしてあることです。関連病院と呼ばれる大学病院の持ち物扱いされている病院の人事権は関連病院自体にはなく、大学の医局で派遣される医者が決められますから、その病院に就職したい!と、全然関係ない医者が立候補しても、まず就職できません。クリニックを開業したとして、箔をつけるために名前を連ねる実働とは言い難い偉い先生がたの名前も、当然医局関連の名前です。また医学会の役員だって、学閥というものが色濃く出ている学会は少なくありません。なぜそんなことが起こるかと言ったら、それはとても簡単な理由です。自分のまわりにいる人、自分と関わりがある人ってものすごく限られている、自分のまわりというごくごく狭い世界にしか知り合いがいない、というのが一般的な医者 だからです。知ってる人にしか頼めない、他の人を知らないから頼めない、だから知り合いだらけの中 だけの医者人生をおくっていくことになるわけです。
稀に、自分の専門分野だけでなく横断的な取り組みをしている場合、例えば私の場合だとスポーツドクターとしての仕事や抗加齢医学会での勉強といったものは、産婦人科医 という枠を超えての交流がありますから、整形外科のドクターやリハ科のドクター、PT、ATをはじめとした運動指導者や、抗加齢医学を研鑽している他科の医療従事者との交流が持てます。でもそんな取り組みをしている医者は、医者の世界において大多数には当たらないのも事実です。
一方、ヨガという世界は世間における存在感や存在価値から言えば、今はまだ ちっちゃなちっちゃな村 くらいの規模感。でも、私自身がヨガの世界で指導的立場に立って5年くらいが経過した今、見えてくるものは 派閥?排他感?囲い込み?小山の大将?自分とこさえ良ければいい感?とでも言うのか、ちっちゃな村の中でさらにちっちゃなグループを作り、その中の交流のみで世界をつくりあげている感覚。正直、はじめの数年はそんなことにも気づきませんでした。ヨガの業界の先頭に立つ方たちはお互いに良いコミュニケーションを持ち、ヨガの世界全体が日本の社会に貢献できるよう成長していくためにどうしたらいいのか、考えてくれているのだと勝手に信じていました。でも、いろんなものを見、いろんな話しを聞き、いろんな経験 例えばこのイベントで、この協会で、自分には声がかからないという経験をする中で、どうやらそうではないのかも なんてことに気がついてしまったわけです。きっと先頭に立つ方たちに、少なくとも悪気はない。でも結果的に、ヨガという世界全体の成長を抑制していると言わざるを得ないのではないかと感じています。
私自身、私はどこにも属さないぞ、と思っていても、そんなこと言ったってケン先生とこでしょ、ヨガジェネでしょ、みたいな声はきっとあることでしょう。それは仕方ありません。なぜならそれは間違いないことであって、私のヨガのルーツがそこにあるから。でも、だからといって他の村から排他される必要はないはず。私は、私がヨガの世界のこれからに必要だと思っていることを、より多くのヨガする方へ伝えたい。それこそまだ伝わっていないところには、より熱意を持って伝えたい、そう思っているくらい。でも、ルーツに紐づく垣根 お濠 国境 みたいなものは間違いなく存在していて、障壁となっていることは否めません。
しかし面白いことに、賢いユーザーという人たちはヨガの世界にも少なからずいて、私などが超えずらいと感じる垣根などものともせず、あっちの話も聞き、こっちの先生のクラスを受け、そっちのTT終わったけど、またこっちのTT受ける、みたいに縦横無尽に渡り歩いているのも事実。こんな人たちは本能的に取捨選択をしているのではないかと私は思っていて、その時その場でうんうん、とある程度納得はしてもちょっと時間が経って、なんか違うかなと感じると次へ行ってみる。そんな感じなのではなかろうか、と。こういった方たちは図太くも(悪い意味ではなく)逞しく、自身が自身らしく成長していくのだろうと思い、こんな方たちこそ、ヨガの世界の垣根を減らしていってくれる原動力になっていくのだろうと考えています。
さらに言えば、ヨガの世界に片足くらいしか突っ込んでいない私だからこそ、できることもあるのではないかと思っています(ま、ヨガの世界に片足くらいしか突っ込んでいない私だから、派閥になんて属していないと思っていたけど、世間はそうは見ていなかった、ってことね)。ヨガ界の発展・成長・成熟のため「ヨガ×医療」「ヨガ×ウィメンズヘルス」「ヨガ×アスリート」の懸け橋となるべく、まずは私自身がいともたやすく垣根を超えて人をつなぎ、自身が日々精進邁進するとともに、共感いただける仲間との活動を増やしていきたい。そう願っています。