悩みがあるということ
真剣に物事に対峙すればするほど、悩みというものは尽きません。
外来でもよく話すことなのですが、悩みの種類は大きく2つに分けられます。悩むことで結果が変えられる悩み と 悩んでも悩んでも、結果を変えることは無理な悩み。
たとえばテストを受け終わって、できなかった、もっと勉強すればよかった、受かっているかな、こんな悩みは悩んでも悩んでもテストの結果というものを変えることはできません。しかし、テストがあるのがイヤだ、こんな悩みであれば、悩みをどうにかするために不得意な部分を洗い出して徹底的に繰り返す、最後にもう一度過去問を解いてみる、テストが始まる直前まで粘る、こんな努力で結果を変えることができます。
悩みがあるということは、自分が対象物に対し真剣である証拠でしょう。譲れない部分、自分らしさだと思う部分、自分で伸ばしていきたい部分をクリアにし、本当に譲れない部分以外はある程度ファジーに流してしまうことが楽に過ごしながら、かつ進んでいきたい方向に対しては正直である方法だと思っています。
自分自身が毎日を楽に過ごしていけなければ、真正面から向いたい物事に対しても100%もしくは100%を超えるpowerで立ち向かうことは難しいでしょう。だからこそ、自分の生活を整え、カラダを楽にし、心を楽にし、本当に譲れない部分にだけ注力する。それが一番の方法だと思っています。
悩みは悩みを呼び、悩みは疑いや迷いを産み、自分に対し信じる心をすり減らしていくことが多い気がします。悩んで悩んで悩みぬいて曇りの心を抜けたとき、理想とする世界が開けることもありますが、そこに立つ自分が悩みのために自分ではない自分になってしまっていてはまったく意味がありません。
決して悩むなというわけではありません。すべてを流せというわけでもありません。自分が悩む意味のあることを悩む。考える。迷う。模索する。先達に相談する。それが一番自分らしく、かつ自分を失うことなくたどり着きたい先に近づける方法なのではないかと思っています。