言葉のちから
私たちはたいてい、日々がんばろうがんばろうと生きていて、それなりの努力もしていることが多いです。それでも、望むような結果に出会えなかったり、人とくらべてしまい、悲しい気持ちになったりすることはよくあることで、それにも負けず進んでいかなければいけないときもあります。
そんなときに、私たちの背中を押してくれるのが誰かからの言葉 だったりします。
消化しきれない鬱憤や納得いかない気持ち、悲しみや怒り、そして落ち込み、そんな自分ひとりではどうにもできない思い。しかも家族やそばにいてくれる人からの救いの手では、近すぎるがゆえに救われない。そんなときにちょっと憧れていたり、ちょっと好きだったり、ちょっと尊敬していたりする、そんな人からもらう言葉。その言葉には、限りないちからが宿っています。
自分を正しく見てくれる。良さを認めてくれる。公平な目で見てくれる。期待してくれる。そういう方が、近すぎない、いい距離にいてくださるといいですよね。
立場や関係性によっては、言葉ひとつで相手を地の底まで落ち込ませてしまうことも希望の光を灯すことも可能です。それほど大きなちからを持ち、かつ一度空中へ飛び出した言葉は引き返すことができません。
私たちは常に、どちらの立場にもなり得ます。相手を傷つける立場にも、相手を勇気づける立場にも。
社会的に強者とされる方はとくに、ご自身の発する言葉が持つちからを知りながら感じながら、そして言葉の先にいる相手を思いながら過ごしていただけたらと願っています。言葉からちからを得た人はきっと、あなたに必ず恩返しをしたいと思うことでしょうから。言葉からちからをもらう。それに報いたいと努力する。positiveがpositiveを生む。そんなサイクルって素敵ですよね。